夢はただの脳の働きではなく、古代の人々にとっては「神からの声」でもありました。
心理学とは少し違う視点から、文化としての「夢」を見つめ直してみたい——
そんな思いで読んだのが、カラム・ハリール『日本中世における夢概念の系譜と継承』(1990年、雄山閣出版)です。
特に付論の「日本人の夢とアラブ人の夢」は、文化圏の異なる人の夢を比較した、知的好奇心がそそられる一節です。
本記事ではこの章を分かりやすく紹介し、私自身の感想も交えてお伝えします。
リールによれば、アラブ社会を考えるうえで欠かせないのがイスラムであり、その教典であるクルアーンには多くの夢が登場します。
それらの夢は、神託夢や予告夢、あるいは謎や象徴に満ちた夢など、いずれも神聖な意味合いを帯びています。
この点は古代日本の夢観と共通しており、どちらの文化でも夢は「神との交流の場」として機能していたといいます。
また、預言者マホメット(ムハンマド)の生涯も、多くの夢に彩られていました。
彼が生まれる前の受胎告知はイエス・キリストとよく似た形で語られ、日本でも聖人や高僧の誕生に際して同様の夢告が見られます。
マホメットにとって夢は宗教的にも政治的にも重要な意味をもち、戦争の開戦や戦略を決める判断材料となることさえありました。
まさに「マホメットは、宗教的にも政治的にも夢を必要としていた」といえるでしょう。
夢が現実を動かす力を持つという感覚は、古代日本の天皇や僧侶たちが夢によって行動を決めた例とも重なります。
さらに興味深いのは、アラブの夢学者イブン・シーリーンによる『夢大全』の話です。
彼は夢を三種類に分類しています。
①神からの真実の夢
②悪魔による悪夢
③単なる身体的な乱れによる夢。
善と悪が明確に区分されたこの分類は、イスラーム文化の世界観をよく表しています。
対して日本では、夢の内容が吉でも凶でも、それを「神仏からの知らせ」として受け止める傾向が強い。
良き知らせは神から、悪しき知らせは悪霊から、というような明確な役割分担は、日本の場合あまり見られないそうです。
また、アラブの夢解きは象徴の意味だけでなく、夢を見た人の職業・信仰・季節なども考慮するという点で非常に緻密です。
ところが日本の江戸期の夢占い書でも、同様に夢主の身分や性別、信仰、季節などを踏まえて解釈する例が見られます。
文化は異なっても、「夢を文脈で読む」という感覚は共通していたことがうかがえます。
要するに、古代から中世にかけての日本人の夢と、アラブ人の夢には多くの共通点がありながらも、「善悪」を前提とするか否かという点で大きな差異があるといえます。
個人的な感想として、江戸時代の夢占いで夢主の職業や信仰、季節などが重視されていた点には驚かされました。
それと同時に、なぜ現代の夢占いの多くが、そうした要素をあまり重視していないのか。何か理由があるのでしょうか。
また、イブン・シーリーンの名はどこかで聞いたことがありましたが、アラビアの夢解き師としてこれほど重要な存在だったとは初めて知りました。
機会があればイブン・シーリーンの著作も読んでみたいと思います。
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