あなたは今年、初夢を見ましたか?
正月二日の晩に宝船の絵を布団の下に敷く、そんな風習を聞いたことがあるでしょうか。
過日、偶然にも民俗学者の柳田國男が『昔話と文学』の中で初夢について論じた文章があるのを見つけました。民俗学者らしい主張も書かれ、他の夢占いサイトでは紹介されていない視点もあるので、ご紹介します。
柳田國男が見聞きしていた夢文化
その文章は、「放送二題」というタイトルの中にある、「二 初夢と昔話」です。
この文章は、「この正月二日の晩に、東京の町では今なお「おたから、おたから」と、宝船の版画を売りにくる声が少しは聞こえます」という文から始まります。
私の60年近い人生の中で、宝船の版画を実際に売っているのを見たことはなかったので、この柳田氏の体験には驚きました。この文章が書かれたのは昭和12年。88年前にはよい初夢を見るために宝船の版画を買う風習が残っていたことに驚きました。
また、氏が小さい頃、お年寄りが初夢の内容が悪いと翌朝急いで宝船の絵を川へ流し、何でもない夢の場合もこの絵紙を捨てていたこと、そしていい夢を見たときだけ年月日などを記入して保存していたという記述もありました。
このブログでも初夢で凶夢を見たら紙に書いて捨てることを奨励していますが、宝船の絵を捨てるということが昭和初期にも風習としてあったことは、知りませんでした。
日本人独自の夢との向き合い方について
続いて、氏は不思議な夢を見て不安になったときの不安の解消法について2つの方法を紹介しています。
1つ目は、「夢合わせ」。これは一種の解釈学です。夢をどう解釈するかによって、意味が変わることにも言及されています。
2つ目は、「夢ちがえ」。これも、言葉によって悪い夢をよくとりなしたものと紹介されています。「夢は逆夢」という慰めの言葉の他、夢違えの式、呪文もあったそうです。信州の一部では、蛇の夢を見ると神詣でをするのがよいと言われていたことも紹介されています。さらには悪い夢だと思ったら、「獏食え獏食え」と唱えることもこれに含まれているとのことです。
地方によって異なる夢の言い伝えと諸外国の学説を鵜吞みにすることへの警鐘
さらに、氏は地方によって異なる夢の言い伝えがあることも紹介しています。例えば
嫁に行く夢を見ると死ぬ
鯉を捕る夢は親しい者に死に別れる
といったものです。
そして、「これらの夢解きは舶来でないだけに、深く考えたら何か隠れたる理由があり、少なくとも国民の心理の研究に、ある暗示を与えるものがあると、私たちは思っております」と述べられています。
氏は夢判断に関する書物を買い集めてみたものの、そのほとんど全部が支那(=中国)の夢占いの本の翻訳であったという経験をしています。そしてこうした状況に対して、「夢ばかりはまさか人まねをしてみるというわけにはいかない。したがってよその民族の学説が、かりにどのように精密であろうとも、そのまま受け売りはできぬはず」と強く主張されています。
私の感想
外国の学説に依拠することへの警鐘の部分は、さすが日本民俗学の父だなぁと感じました。
グローバル化が進んでいる現在、文化交流が進んでいることもあるので、氏の主張をそのまま支持することは私はできないと思うのですが、それでも日本人特有の夢に対する向き合い方、そして解釈の仕方はこれからも探求していきたいと感じました。
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